740年 藤原広嗣の乱

    

藤原広嗣の乱


740年(天平12年)、奈良時代の九州地方でおきた内乱を呼ぶ。当時の藤原広嗣は、玄昉や吉備真備と対立した状態にあった。また、藤原氏内部でも孤立し、左遷されたことから、玄昉や吉備真備を除くことを要求する上表文を中央政府である朝廷に提出している。

しかし朝廷側に聞き入れられないことから、大宰府で挙兵し、大野東人を大将軍とする官軍によって鎮圧されてしまう。これが藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)である。

人名用語解説


藤原広嗣(ふじわらのひろつぐのらん)

藤原広嗣(生年不詳-740年)は、奈良前期の貴族。藤原宇合の第1子であり、藤原広嗣の乱の中心人物となる。

大野東人(おおののあずまびと)

大野東人(生年不詳-742年)は奈良時代の武人であり武官。藤原広嗣の乱において、持節征夷大将軍に任じられ、東海以下5道の兵1万7000人を率いて出陣し、鎮圧に成功ししている。


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