369年 任那の成立

    

任那の成立


任那(みまな)とは、古墳時代前期において存在した朝鮮半島南部の地域であり一小国家である。369年、倭国が百済とともに新羅と戦いうが、この結果、倭国は任那の支配に成功したと、日本書紀に記されている。一方、高句麗好太王碑文によると、391年に倭の軍が高句麗・新羅の軍を破るとある。

流れとしては、倭軍が朝鮮半島に進出し、百済、新羅、高句麗に攻め入るが、結果として高句麗の反撃にあい敗北を喫する。ただしこの空白の4世紀においては、諸説が存在するとともに、各々の年号にもズレや相違が散見される。よってこの時代の動きについては、4世紀後半、倭軍が朝鮮半島へ進出したとご理解いただければ良いだろう。

人名用語解説


百済(くだら)

百済とは、3世紀から6世紀にかけて朝鮮半島南西部にあった国家。新羅、高句麗の制圧から逃れるために、日本との信仰を深めたとされる。仏教や儒教を倭に伝えた。660年、新羅に滅ぼされている。ちなみに高句麗、新羅、百済の存在した時代を朝鮮半島における三国時代と呼ぶ。

新羅(しらぎ)

3世紀から9世紀にかけて、朝鮮半島南東部に存在した国家。7世紀中頃には、朝鮮半島のほぼ全域を統一し、その後の高麗、朝鮮へと続く半島国家の歴史の始まり作ることになった。

高句麗(こうくり)

紀元前1世紀に建国される。4世紀始めに朝鮮半島北部を領有するものの、668年、唐・新羅によって滅ぼされる。

好太王碑(こうたいおうひ)

高句麗の第19代の王である好太王(こうたいおう:374年-412年)の業績を称えた石碑であり、広開土王碑(こうかいどおうひ)とも呼ばれている。4世紀末から5世紀初の朝鮮半島の歴史を知る上で貴重な資料だが、日本の学会と韓国や北朝鮮の学会では、解釈に大きな相違があるようである。


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