498年 大伴金村失脚

    

大伴金村失脚


498年、大伴金村(おおとものかなむら)は武烈天皇を即位させ、自らは大連(おおむらじ)の地位についている。512年に百済からの任那4県割譲要求があり、金村はこれを承認する代わりに五経博士を渡来させている。

また、527年の磐井の乱が起きる。九州北部の豪族、筑紫君磐井が新羅と手を組みヤマト王権と敵対したのだった。この際、金村は物部麁鹿火を将軍に任命し、これを鎮圧させている。

欽明天皇の代に入ると蘇我稲目が台頭したことから、金村の権勢は衰え始める。さらにその後、新羅が任那地方を併合するが、任那4県の割譲時、百済側から賄賂を受け取ったことなどの問題から、540年、失脚することになった。これらは「日本書紀」に記されている。

なお、住吉区にある帝塚山古墳は、大伴金村の墓だという説がある。

人名用語解説


大伴金村(おおとものかなむら)

5世紀から6世紀にかけての豪族。

武烈天皇(ぶれつてんのう)

武烈天皇(489年-507年)は、古墳時代における第25代天皇。

大連(おおむらじ)

古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の1つであり、王権に従う大夫(たいふ)を率いて大王(おおきみ)つまり天皇の補佐として執政を行った。

五経博士(ごきょうはかせ)

中国古代の官職の一つであり、儒家の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を教学する学官のこと。つまり、五経博士を渡来させることは、そのまま儒教の伝来を意味する。

筑紫君磐井(つくしのきみいわい)

古墳時代末期における北部九州の豪族。日本書紀には「筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)とある。ちなみに「国造(くにのみやつこ)」とは古代日本の行政機構において地方を治める官職のことだが、古事記などの他の文献によると王を称したこととなっていることから、「君(きみ)」つまり君主の称号として呼ぶのが定説となっているようだ。

物部麁鹿火(もののべのあらかひ)

古墳時代の豪族であり、武烈即位前紀に大連として初めて日本書紀に名が現れている。磐井の乱の鎮圧後、安閑天皇・宣化天皇の代にも大連を務めている。536年没。


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