810年 薬子の変

    

薬子の変


平城上皇の側近らが嵯峨天皇の退位と平城の重祚を画策したことから、蔵人所を設置することとなったが、嵯峨天皇は設置と同年の810年(弘仁元年)、兵を動かすことで、画策は未遂に終わるとともに、平城上皇が出家し、事は収束へと向かう。

この際、画策の首謀者として、平城上皇の愛妾であった尚侍の藤原薬子は自害、その兄である参議の藤原仲成らは処罰された。これが薬子の変(くすこのへん)である。薬子の変は、律令制下の太上天皇制度が王権を分掌していることに起因していたことから、「平城太上天皇の変」と呼ばれる場合もある。

人名用語解説


尚侍(ないしのかみ)

尚侍とは、日本の律令制における官職で、女官のみによって構成される内侍司の長官(かみ)を勤めた女官の官名である。天皇の秘書役に相当する重要な役職であり、学問や礼法に通じた有能な女性が任命されたとされている。

藤原薬子(ふじわらのくすこ)

藤原薬子(生年不詳-810年)は、平安時代初期の女官であり、藤原式家、藤原種継の娘である。

藤原仲成(ふじわらのなかなり)

藤原 仲成(764年-810年)は、平安時代初期の公卿であり、藤原式家、藤原種継の長男である。

太上天皇(だいじょうてんのう)

太上天皇とは、天皇の名ではなく、皇位を後継者に譲った天皇に贈られる尊号のことである。上皇(じょうこう)と略される場合が少なくない。


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