858年 藤原良房摂政に就任

    

藤原良房摂政に就任


承和の変の際、大納言に昇進した藤原良房は、850年(嘉祥3年)、道康親王が文徳天皇として即位すると、その第1皇子である惟喬親王を押さえ、自らの娘である藤原明子が生んだ第4皇子の惟仁親王を皇太子とした。

また、自らは奈良時代以降絶えていた太政大臣となる。さらには858年(天安2年)、9歳の惟仁親王(清和天皇)が即位すると、事実上の摂政となっている。

人名用語解説


文徳天皇(もんとくてんのう)

文徳天皇(827年-858年)は、平安時代前期の第55代天皇である。仁明天皇の第一皇子であり、母は左大臣藤原冬嗣の娘、皇太后順子。在位は850年から858年。

惟喬親王(これたかしんのう)

惟喬親王(844年-897年)は、平安時代前期の皇族であり、文徳天皇の第一皇子。官位は四品、弾正尹。

藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)

藤原明子(829年-900年)は、藤原良房と源潔姫の娘で文徳天皇の寝所に侍する女御(にょうご)。850年(嘉祥3年)、惟仁親王(のちの清和天皇)を出産する。惟仁親王はすぐ立太子した。


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