810年 蔵人所を設置

    

蔵人所を設置


806年(延暦25年)に桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位。さらに809年(大同4年)には、平城天皇が嵯峨天皇に譲位し、平城上皇として平城京に移り住んでいる。

しかし、平城上皇の側近らが嵯峨天皇の退位と平城の重祚を画策したことから、嵯峨天皇と平城上皇の対立が深まることとなる。これを危惧した平安京の嵯峨天皇は、令外官として蔵人所を設置するとともに、藤原冬嗣らを蔵人頭に任命、平城京に対する徹底した機密保持を図らせた。

人名用語解説


蔵人所(くろうどどころ)

810年(弘仁元年)、嵯峨天皇によって設置された令外の官職。側近を蔵人として殿上に近侍させることにより、体制固めや情報漏えいの阻止を行った。これが蔵人所のはじまりである。

平城天皇(へいぜいてんのう)

平城天皇(774年-824年)は、日本の第51代天皇であり、桓武天皇の第1皇子。

嵯峨天皇(さがてんのう)

嵯峨天皇(786年-842年)は、日本の第52代天皇であり、桓武天皇の第二皇子。平城天皇の弟にあたる。

令外官(りょうげのかん)

律令の令制に規定のない新設の官職。蔵人所や摂政、関白などもこれに相当する。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)

藤原冬嗣(775年-826年)は、平安時代の公卿であり歌人。藤原内麻呂の子。嵯峨天皇の側近として信頼が厚く、蔵人所設置において、初代の蔵人頭となった。最終的には、左大臣まで昇りつめ、北家隆盛の基礎を築くことになる。

蔵人頭(くろうどのとう)

蔵人所の官職をいう。蔵人所の実質的な長であり、天皇の秘書的役割を果たした。定員は2名とされていた。


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