842年 承和の変

    

承和の変


承和の変(じょうわのへん)は、藤原氏による最初の他氏排斥事件とされているものであり、平安時代初期の842年(承和9年)に起きた廃太子を伴う政変のことだ。

840年(承和7年)、淳和上皇が崩御する。また、その2年後の842年には嵯峨上皇が崩御しているが、同年、仁明天皇は伴健岑と橘逸勢らを、陰謀を企てたとして逮捕。恒貞親王は事件とは無関係としながらも責任を取らせるために皇太子を廃した。事件後、藤原良房は大納言に昇進、仁明天皇の第一皇子である道康親王(後の文徳天皇)が皇太子となっている。

人名用語解説


仁明天皇(にんみょうてんのう)

仁明天皇(810年-850年)は、平安時代初期の第54代天皇である。在位は833年から850年。嵯峨天皇の第二皇子であり、母は内舎人橘清友の娘、皇后橘嘉智子。

伴健岑(とものこわみね)

伴健岑(生没年不詳)は、平安時代初期の官人であり、大伴氏の一族。842年(承和9年)嵯峨上皇が重病の際、謀反を企てたとして上皇の没後、橘逸勢とともに逮捕され、隠岐国に配流されている。

橘逸勢(たちばなのはやなり)

橘逸勢(782年-842年)は、橘奈良麻呂の孫であり、平安時代の書家、貴族、参議。842年(承和9年)、皇太子の恒貞親王を東国へ移送する画策をしたとの謀反を企てた疑いで、伴健岑とともに逮捕され、伊豆へ配流されている。

恒貞親王(つねさだしんのう)

恒貞親王(825年-884年)は、平安時代前期の皇族であり淳和天皇の第二皇子。仁明天皇の皇太子であったが、のち廃されている。

藤原良房(ふじわらのよしふさ)

藤原良房(804年-872年)は、平安時代初期の公卿であり、嵯峨天皇に深く信任された藤原北家、藤原冬嗣の二男として生まれた。皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた人物でもある。藤原北家全盛の礎を築いた存在として知られ、良房の子孫達は相次いで摂関となる。


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