801年 坂上田村麻呂が蝦夷征討

    

坂上田村麻呂が蝦夷征討


蝦夷征討(えみしせいとう)とは、文字通り、蝦夷に対して朝廷が行った征討をいう。

奈良時代後半より、当時の東北地方では、蝦夷の反乱が続いていた。このため桓武天皇は、坂上田村麻呂を征夷大将軍として蝦夷征討を命じた。そして801年(延暦20年)、田村麻呂は蝦夷鎮圧に成功する。この際、蝦夷の大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母禮(モレ)が降伏。田村麻呂は二人を助命するものの、結果的に河内国で処刑されたとされる。

人名用語解説


蝦夷(えみし)

広義では、古代日本において日本列島の東北地方に土着していた人々をいう。奈良時代末期から平安時代にかけて、朝廷の支配下に置かれることを嫌うこの地域の人々は、朝廷から派遣された軍と戦うことになる。

なお、近世における蝦夷は「えぞ」と読み、アイヌ人を示している。よってここで言う「えみし」とは若干意味合いが異なる。

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

坂上田村麻呂(758年-811年)は、平安時代の武官である。蝦夷征討にもっとも深くかかわった武将であり、蝦夷征討の翌年、北上川中流に胆沢城(いさわじょう)を築いている。

また、810年(弘仁元年)大納言となり、翌年東山粟田の別荘で没している。

大墓公阿弖利爲(アテルイ)

アテルイ(生年不詳-802年)は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者で、フルネームは大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)。坂上田村麻呂に敗れて降伏し、処刑されている。

盤具公母禮(モレ)

モレ(生年不詳-802年)は、蝦夷の指導者の一人であり、アテルイとともに、河内国で処刑された。フルネームは盤具公母禮(ばんぐのきみもれ)。


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