866年 応天門の変

    

応天門の変


応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の866年(貞観8年)に起こった応天門炎上をめぐる政治事件である。朝堂院の正門である応天門が放火された。大納言伴善男は左大臣源信の犯行であると告発するも、太政大臣藤原良房の進言で無罪となった。

その後、伴善男と中庸の父子が真犯人であると、左京の備中権史生、大宅鷹取が告げたことにより、嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処されている。これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)が没落することになる。承和の変などとともに藤原氏の他氏排斥事件の一つといわれている。

人名用語解説


伴善男(とものよしお)

伴善男(811年-868年)は、平安時代前期の貴族であり官人。大伴氏の後裔で,藤原種継暗殺事件の首謀者継人の孫である。仁明天皇の信任を得て、841年(承和8年)に大内記、蔵人、式部大丞などをへて844年には右少弁、さらには、蔵人頭、右中弁、参議、右大弁、右衛門督などを経て、849年(嘉祥2年)には検非違使別当、その後も従四位上、正四位下、従三位、正三位・民部卿、中納言と累進し、864年(貞観6年)には大納言に至り、伴氏(大伴氏)の極官をきわめた。

しかし、応天門の変において、左大臣の源信が犯人であると告発。源信は無実となるが、善男とその子中庸らの陰謀とする密告があり、罪状認否のまま伊豆国へ流されることになる。

源信(みなもとのまこと)

源信(810年-869年)は平安時代前期の公卿であり嵯峨天皇の七男。応天門の変で伴善男の讒言により罪に陥れられるものの、太政大臣藤原良房の進言で無罪となる。

その後は政界を離れるが、この事により、藤原氏の躍進を許すこととなったとされる。

大宅鷹取(おおやけのたかとり)

大宅鷹取(生没年不詳)は、平安時代前期の官吏である。応天門放火の犯人が伴善男、ならびに子の中庸であることを密告したことから、善男の従者、生江恒山(いくえのつねやま)らに娘を殺されてしまう。

その後、恒山らの取り調べで善男らの放火が確認されている。


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