672年 壬申の乱とその後

    

壬申の乱とその後


白村江の戦いに敗れた中大兄皇子は、新羅の侵攻を警戒し、北九州に水城や防人、さらには大野城を置くことで国防を強化した。また、中大兄皇子は667年、近江大津宮へ遷都、翌668年に天智天皇に即位している。

天智天皇は、子の大友皇子の成長とともに、後継者に大友皇子をおすようになる。このことで、当初の後継者とされていた天智天皇の弟である大海人皇子との間に、次第に確執が生じるようになった。そして672年、天智天皇が崩御すると、両者は皇位をめぐって対立、古代史上最大の皇位継承戦争が勃発することになる。これが壬申の乱(じんしんのらん)である。この内乱では、東国豪族を動員した大海人皇子が大友皇子に勝利し、天武天皇として即位することになった。

天武天皇は、皇親政治を目指すため、近江から飛鳥浄御原宮へ遷都し、八色の姓を設けている。またこの時代の683年頃、富本銭が鋳造されている。

人名用語解説


水城(みずき)

7世紀中頃に構築された国防施設であり、唐や新羅の侵攻に備え、中大兄皇子が作られた直線状の堀と土塁のことである。

防人(さきもり)

九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵のこと。主に東国の兵士から抜粋し、3年交代で従事させた。

大野城(おおのじょう)

大宰府防衛のため、北方の筑前四王寺山山上につくられた朝鮮式の山城。

天智天皇(てんちてんのう)

天地天皇(626年-672年)は第38代天皇であり、中大兄皇子。

近江大津宮(おうみのおおつのみや)

667年に後の天智天皇である中大兄皇子が遷都した宮。近江宮(おうみのみや)とも呼ばれている。

大友皇子(おおとものおうじ)

大友皇子(648年-672年)は、天智天皇の皇子であり、大海人皇子と皇位をめぐり対立した。この対立は壬申の乱へと発展する。この内乱で大海人皇子に破れて自害している。

大海人皇子(おおあまのおうじ)

大海人皇子(631年-686年)は、天智天皇の死後、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、その翌年に第40代天皇に即位して天武天皇(てんむてんのう)となる。天智天皇の弟。

皇親政治(こうしんせいじ)

皇親政治とは、壬申の乱以降、8世紀前半にかけて行われた天皇と皇族を主体とする政治体制のこと。

飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)

飛鳥浄御原宮とは、壬申の乱で勝利した大海人皇子が672年に遷都した宮。大海人皇子は即位して天武天皇となった。

八色の姓(やくさのかばね)

684年に天武天皇が制定した八つの姓の制度のことであり、真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)からなる。皇室と関係の深い身分を上位に配置することで皇親政治実現を目指した。

富本銭(ふほんせん)

683年頃に日本で鋳造されたと推定される銭貨であり、流通は確認されていないが、日本で最初の貨幣とされている。


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