630年 遣唐使・犬上御田鍬

    

遣唐使・犬上御田鍬


618年、中国では隋が滅び、替わって唐が興ることになる。また、聖徳太子が死去(622年)した後の628年に推古天皇が崩御しているが、この際、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷は、田村皇子を立てて天皇にしている。舒明天皇である。聖徳太子が死去すると、再び曽我氏が台頭することとなったわけだ。

舒明天皇は630年、薬師恵日の進言を聞き入れ遣唐使を送ることとし、御田鍬を遣唐大使に命じた。唐を訪れた御田鍬は、2年間唐に滞在し、632年に唐使の高表仁を伴い、学問僧・旻らとともに帰国する。そしてこれにより、唐との国交が結ばれることになった。

人名用語解説


犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)

犬上御田鍬は大和王権の中級官吏であり外交官の一人。推古朝の614年、遣隋使として一度渡海しているが、これにより大仁の冠位に昇叙された。そして630年、遣唐大使に任命され、最初の遣唐使として唐を訪れることとなる。

蘇我蝦夷(そがのえみし)

飛鳥時代の政治家であり貴族。蘇我馬子の子。大臣に就任し、舒明天皇を擁立して権勢を振るったが乙巳の変で自宅を放火して自害した。

舒明天皇(じょめいてんのう)

舒明天皇(593年-641年)は、日本の第34代天皇であり遣唐使を初遣した。この当時の実権は、蘇我蝦夷にあった。

薬師恵日(くすしえにち)

7世紀前半ころの廷臣であり、推古朝に遣隋留学生として隋・唐に医術を学び,623年に帰国している。また、第1回の遣唐使となり、654年にも遣唐副使となって渡海している。

遣唐使(けんとうし)

遣唐使とは、日本から唐に派遣された正式な外交使節のことである。630年から菅原道真の献言により中止された894年にかけて19回任命され、15回渡海し、律令国家の政治や文化発展に大きな影響を及ぼすこととなった。

高表仁(こうひょうじん )

高表仁とは、唐の仕官であり初の遣唐使犬上御田鍬の帰国に同行している。翌年帰国。

旻(みん)

旻とは、遣隋使に同行した学問僧であり、大化の改新により、国博士に任じられている。


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