764年 藤原仲麻呂の乱

    

藤原仲麻呂の乱


藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん)ともいう。

橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,大炊王を淳仁天皇として擁立する。そして自らを恵美押勝と称するとともに、太保、太師に進み、正一位にまで登りつめることとなった。

ところが、光明皇太后が没すると、孝謙上皇との間が疎遠となり、道鏡の処遇をめぐって両者の対立が深まる。仲麻呂政権は次第に非勢へと追いこまれていくこととなる。

そこで仲麻呂は、手兵を集めて反乱を企てようとしたが、計画は事前に発覚して失敗に終わり、斬首となる。

人名用語解説


淳仁天皇(じゅんにんてんのう)

淳仁天皇(733年-765年)は、日本の第47代天皇。天武天皇の皇子である舎人親王の七男として誕生する。践祚前は大炊王(おおいおう)と称された。藤原仲麻呂に擁されて即位するものの、藤原仲麻呂の乱で孝謙上皇によって廃され、淡路に流されている。

太保(たいほ)

中国の古代より使われた官職名であり、天皇の補佐役。

太師(たいし)

中国、周代における三公である太師、太傅、太保のひとつ。天子の師となり補佐する官のことをいう。

正一位(しょういちい)

正一位は、位階及び神階のひとつであり、律令制における、諸王および諸臣の位階の最上級をいう。


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