754年 唐僧鑑真が来朝し律宗を伝える

    

唐僧鑑真が来朝し律宗を伝える


唐に渡った栄叡や普照の要請を受け、唐僧である鑑真は、5回もの渡航失敗、失明をのりこえ、753年(天平勝宝5年)、6回目にしてようやく来日を果たした。

また、翌754年(天平勝宝6年)には、来朝し聖武上皇らに授戒するとともに、律宗を伝えている。

人名用語解説


鑑真(がんじん)

鑑真(688年-763年)は、奈良時代の帰化僧であり、日本における律宗の開祖である。俗姓は淳于(じゅんう)。東大寺に戒壇院を設立し、大僧正となる。また、唐招提寺をひらいている。

栄叡(ようえい)

榮叡(生年未詳-749年)は、美濃国の出身の奈良時代の僧である。733年(天平5年)出家者に正式な戒を授けるための伝戒師招請を目的とし、普照とともに唐へ渡っている。

鑑真に対して日本に渡ることを要請、鑑真は754年(天平勝宝6年)に果たすことになるが、栄叡は、それを待たず、749年に病死している。

普照(ふしょう)

普照(生没年不詳)は、奈良時代の僧である。733年(天平5年)出家者に正式な戒を授けるための伝戒師招請を目的とし、栄叡とともに唐へ渡っている。鑑真に対して日本に渡ることを要請、鑑真に従って754年(天平勝宝6年)に戻り、東大寺に住している。またその後、奈良西大寺の大鎮を勤めている。

授戒(じゅかい)

仏門に入る者に、仏弟子として生きるための戒を授けることである。ちなみに戒(かい)とは、過ちを防止するために守らなければならない禁制や、その個々の条目をいう。

律宗(りっしゅう)

律宗とは、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派のことであり、戒律を自ら実践することが成仏の因と説いている。ちなみに中国では、正式な僧となるには戒律を修めなければならなかった。


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