784年 長岡京に遷都

    

長岡京に遷都


784年(延暦3年)桓武天皇は、都を奈良から長岡に移している。これが長岡京である。奈良時代後半、疫病や飢餓、地震などが続き、桓武天皇も重い病に倒れている。自らが帝位についたことが原因と考え、これを払拭するための遷都ともいわれている。

旧都平城京を捨てて新都を建設し、人心を一新して律令体制をたてなおそうとしたわけである。しかし長岡京に遷都後も、夫人や母、皇后、皇太子が相次いで死亡し、さらには、造都推進者の藤原種継が暗殺されたことにより、794年(延暦13年)の平安京遷都へとつながっていく。

人名用語解説


桓武天皇(かんむてんのう)

桓武天皇(737年-806年)は日本の第50代天皇であり、在位は781年から806年。後の光仁天皇である白壁王の第1王子として生まれた。

当初、生母の出自が低かったため立太子は予想されていなかったが、政争により773年に皇太子となる。そして781年、光仁天皇から譲位されて天皇に即位している。

長岡京(ながおかきょう)

長岡京(ながおかきょう)は、784年(延暦3年)から794年(延暦13年)まで山城国乙訓郡に存在した古代の都城である。長岡京は、後の平安京と同程度の規模とされており、本格的な首都造営であったことがうかがえる。

藤原種継(ふじわらのたねつぐ)

藤原種継(737年-785年)は、奈良時代末期の官人。式家藤原宇合の孫といわれる。藤原小黒麻呂とともに長岡京遷都のために山背国乙訓郡長岡村の地を視察した。長岡京造営の中心人物となり、遷都後の12月には正三位に叙されている。


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