757年 橘奈良麻呂の乱

    

橘奈良麻呂の乱


749年(天平勝宝1年)、聖武天皇が退位、代わって阿倍内親王が孝謙天皇として即位すると、藤原仲麻呂が参議から大納言に昇進した。また、光明皇太后の大権行使のため、皇后宮職を紫微中台に改組し、長官に就任している。一方、藤原仲麻呂を滅ぼし、天皇の廃立を企てたのが橘奈良麻呂である。しかし757年(天平宝字元年)、密告により露見して未遂に終っている。そしてこの藤原仲麻呂打倒未遂事件が、橘奈良麻呂の乱(たちばなのならまろのらん)、もしくは、橘奈良麻呂の変(たちばなのならまろのへん)である。

人名用語解説


孝謙天皇(こうけんてんのう)

孝謙天皇(718年-770年)は、日本の第46代天皇であり父は聖武天皇で、史上6人目の女帝である。淳仁天皇を経て第48代称徳天皇(しょうとくてんのう)に重祚(ちょうそ)している。

藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)

藤原仲麻呂(706年-764年)は、武智麻呂の次男として生まれた奈良時代の公卿である。武智麻呂ら藤原四兄弟が相次いで死去し、藤原氏の勢力は大きく後退、代わって橘諸兄が台頭して国政を担うようになった。

しかし、仲麻呂は750年(天平勝宝2年)従二位に昇進するまで異例の早さで出世をとげている。また、仲麻呂の叔母に当たる光明皇后の皇后宮職を発展改組して設けた紫微中台の長官にもなり、太政官組織に拠る左大臣橘諸兄らの勢力と対抗した。

参議(さんぎ)

参議とは、日本の朝廷組織の最高機関、太政官の官職のひとつである。

大納言(だいなごん)

大納言は、太政官に置かれた官職のひとつであり、大臣に次ぐ身分。大臣、中納言らと律令国家の政務運営に当たった。

紫微中台(しびちゅうだい)

紫微中台とは、藤原仲麻呂が749年(天平勝宝1年)に創設した、光明子の家政機関である。令、弼、忠、疏の四等官22名がおかれた。紫微中台の長官には、藤原仲麻呂が任命されており、光明皇后の意志の伝達や、日常生活等を営むために仕えた。

橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)

橘奈良麻呂(721年-757年)は、奈良時代の公卿であり、橘諸兄と藤原不比等の娘の子。藤原仲麻呂の台頭で勢力が後退したことから、藤原氏以外の氏族を結集させ、藤原仲麻呂打倒を画策するも、密告により事前に漏れ、捕らえられ、獄中で死去している。


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