552年 蘇我稲目と物部尾輿による崇仏争論

    

蘇我稲目と物部尾輿による崇仏争論


大伴氏失脚の後の6世紀中ごろ、蘇我氏と物部氏が台頭することとなった。そして欽明天皇の代においける仏教伝来の際、仏教受容をめぐりこの2氏が552年、対立することとなる。これが崇仏争論(すうぶつそうろん)である。また、この際に崇仏派の中心となっていたのが大臣の蘇我稲目、排仏派の中心が大連の物部尾輿である。

この対立は、6世紀末、子の世代まで続くが、蘇我稲目の子である大臣の蘇我馬子が、物部尾輿の子である大連の物部守屋を滅ぼすことで物部氏が滅亡する。また、蘇我馬子はその後、自らが擁立した欽明天皇の子である崇峻天皇を暗殺してしまう。そして、自らの姪の推古天皇を初の女帝として即位させることで、実権を掌握することとなった。

またこの際、摂政として国政を執る推古天皇の甥が、聖徳太子である。

人名用語解説


崇仏派(すうぶつは)

仏教を崇拝し、これを取り入れようとする派。

大臣(おおおみ)

臣姓豪族の中で最も高い権力者が就任し、政治に参与した最高職をいう。

蘇我稲目(そがのいなめ)

欽明天皇の大臣。崇仏派の中心人物である。朝廷の財政に関与したとされ、その後の曽我氏の隆盛の基盤を築いている。

排仏派(はいぶつは)

伝来した仏教を排除すべきと考える派。

物部尾輿(もののべのおこし)

物部尾輿は、6世紀半ばの豪族である。安閑ならびに欽明両天皇の頃の大連であり、物部守屋の親。仏教公伝の際に、排仏を主張し崇仏派の蘇我稲目と対立している。

蘇我馬子(そがのうまこ)

蘇我馬子は、飛鳥時代における政治家であり貴族。蘇我稲目の子であり、敏達天皇のとき大臣に就いて以降、4代の天皇に仕え、約半世紀の間勢力を振るった。ちなみに、「馬子」ということから女性に思われがちだが、男性である。

物部守屋(もののべのもりや)

飛鳥時代の大連であり物部尾輿の子。伝来した仏教に対しては強硬な排仏派で、崇仏派の蘇我氏と対立したが、蘇我馬子との戦いに敗死する。

崇峻天皇(すしゅんてんのう)

崇峻天皇は、蘇我馬子に擁立されて即位するものの、蘇我馬子の手先である東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)により、592年に殺されてしまう。

推古天皇(すいこてんのう)

推古天皇(554年-628年)は、第33代天皇であり日本初の女帝である。蘇我馬子は母方の叔父。


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