239年 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に遣使

    

邪馬台国の女王卑弥呼が魏に遣使


239年、倭国の邪馬臺国の女王卑弥呼が魏に遣いを送り朝献したと「魏志倭人伝」に記されている。これによると、日本の中心には「卑弥呼」という女王がおり、国の名前は「邪馬台国」とある。

ちなみに邪馬台国の位置も「魏志倭人伝」に記されているが、解釈によって位置が大幅に異なることから、現在においても九州説と大和説があるなど、正確な位置が特定されていない。

人名用語解説


魏志倭人伝(ぎしわじんでん)

2~3世紀の倭人の風習や、3世紀の邪馬台国などについて記されている中国の文献であり、著者は西晋の陳寿(233‐297)。倭人伝は、倭国国の位置、邪馬台国への道程、倭の諸小国名称,倭人の生活風俗などが詳細に記されている。全文が残されていることから、誰もが目にすることができるが、異なる複数の解釈ができることから、諸説が登場することとなった。

卑弥呼(ひみこ)

卑弥呼は邪馬台国に都を置いていたとされる倭国の女王である。卑弥呼については魏志倭人伝などの中国の史書にその記述が散見される。生年は不明だが、没年は248年頃とされている。

2世紀中期から後期において、倭国では大乱が発生し国内の統治ができない状態が続いたが、これをおさめたのが邪馬台国の卑弥呼であると、魏志倭人伝には記されている。

魏(ぎ)

魏とは、中国における三国時代、初代皇帝となる曹丕(そうひ)が建てた王朝であり華北を支配した。曹魏ともいう。西暦220年から西暦265年まで続いた王朝であり、当時の魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志によってその詳細が残されている。


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