4世紀頃 ヤマト王権の統一

    

ヤマト王権の統一


4世紀頃になると、前方後円墳が奈良盆地の大和地方を中心として出現することから、その中心に位置した政治勢力をヤマト王権、もしくはヤマト王権(政権)と呼んでいる。「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心とした、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力である。

また、中央の豪族を政権の支配下に組み入れるための政治的身分制度を氏姓制度と呼ぶ。

なお、ヤマト王権の統一にも諸説が存在し、王権の存在や正確な年は現在でも特定できていない。

人名用語解説


氏姓制度(しせいせいど)

中央貴族や地方豪族が、ヤマト王権に対する貢献度や、朝廷政治上に占める地位に応じて、朝廷より授与される氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名や、その特権的地位を世襲した制度を氏姓制度と呼ぶ。

大王(おおきみ)

政権の首長のこと。ヤマト王権統一当初は王(きみ)と呼ばれていたが、5世紀頃には、大王と呼ばれるようになる。また、7世紀後半の天武天皇の頃から、大王に代わり天皇の称号が始まることとなったようだ。


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