794年 平安京に遷都

    

平安京に遷都


794年(延暦13年)に桓武天皇により遷都された平安京(へいあんきょう)は、平安城とも呼ばれ、現在の京都市中心部に位置した。

784年(延暦3年)、桓武天皇は平城京を捨てて長岡京を営んだ桓武天皇だったが、造都推進者の藤原種継が暗殺されてしまう。このことにより、工事は続行されたものの事業自体に齟齬が生じることになった。そこで、藤原小黒麻呂らに新京の地相調査を命じ、その報告を受けた段階で平安京造都に着手した。なお、平安京への遷都には、和気清麻呂の進言も手伝ったといわれている。

当時の平安京は、東西約4.5km、南北約5.3km。中央を南北に走る朱雀大路により、左京と右京に分けられており、北部中央に南面して大内裏が置かれた。また、縦横に大路を通じ、南北を九条、東西を各四坊、さらにこれを小路で碁盤の目のように整然と区画さていた。

人名用語解説


和気清麻呂(わけのきよまろ)

和気清麻呂(733年-799年)は、 奈良時代後期から平安初期の貴族。右兵衛少尉になり、藤原仲麻呂の乱では功績をあげた。また、長岡京遷都後も、なかなか工事が進まなかったことから財政難に陥っていた際、他の土地での新都造営を上奏したとされる。

朱雀大路(すざくおおじ)

日本の古代都城において,京を東の左京と西の右京に二分する大路をいう。唐の都長安の朱雀街にならって設けられたとされている。中央大路として最も重視され、儀礼空間としても利用された。

大内裏(だいだいり)

天皇の居所である内裏と政府諸官庁の置かれた一区画をいう。


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