663年 白村江の戦い

    

白村江の戦い


581年に建国された隋は、中国大陸を統一するものの次第に弱体化し、618年には煬帝が殺害されて滅んでいる。そして同年に建国された唐は、628年に中国を統一する。

統一後の唐は、高句麗を攻めたが、攻略に失敗する。高句麗遠征により、高句麗・百済が唐に対して敵対的になったが、唐と新羅との関係は、逆に親密化することになった。

また、大化改新期の660年、唐は新羅からの救援要請を受けて軍を起こし、百済を攻め滅ぼしてしまう。

そこで百済の遺臣は、倭国に救援を要請する。そこで663年、中大兄皇子は倭国の援軍をだす。これを得た百済復興軍は、百済南部に侵入した新羅軍を追い払うことに成功する。また、倭国・百済連合軍は、唐・新羅連合軍のいる白村江河口に攻め入り海戦を行ったが、結果として新羅水軍に大敗することになる。これが白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)である。

なお、白村江の戦いの後の新羅は、668年高句麗も滅ぼすことになる。また、676年には、朝鮮半島を統一することとなった。

人名用語解説


煬帝(ようだい)

煬帝は、隋朝における第2代皇帝(569年-618年:在位は604年-618年)。大運河の築造や外征の失態などにより、次第に衰え、唐の唐朝の初代皇帝である李淵(りえん)によって滅ばされてしまう。


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