757年 大宝律令の制定

    

大宝律令の制定


日本においての最古の法令集ともいえる大宝律令(たいほうりつりょう)は、天武ならびに持統天皇の孫にあたる文武天皇によって701年に制定された。大宝律令の「大宝」は年号、「律」は刑罰規定、そして「令」は行政の組織や税制を定めたものである。それまで、天武天皇が制定を命じ、持統天皇によって施行された飛鳥浄御原令が用いられてきたが、文武天皇の治世において、大宝律令が完成することで、ここに律令制度による政治のしくみが本格的に体系化されたわけである。

大宝律令においては、中央組織として2官8省が置かれ、地方組織としては国、郡、里などが置かれた。また、全国を7道として分類し、交通の整理までを行った。大宝律令の原則として、公地公民制を挙げることができる。

なお、大宝律令を修正することで策定された養老律令(ようろうりつりょう:757年施行)は、形式的には明治維新まで存続することとなった。

人名用語解説


文武天皇(もんむてんのう)

文武天皇(683年-707年)は、日本の第42代天皇であり、在位は697年から707年。天武ならびに持統天皇の孫にあたる。父である草壁皇子が皇太子のまま亡くなったため、持統から譲位されて天皇の位に即くが、まだ15歳であったため、持統が太上天皇を称して後見役についている。701年に大宝律令が完成し、翌702年にこれを公布している。

律令制度(りつりょうせいど)

律令に基づく古代統一国家の統治体制であり、中央集権制度である。成文法典による罪刑法定主義や、巨大な官僚機構による直接統治など、律令と格式という法令を定める。なお、律令制度によって運営される国家のことを、律令国家(りつりょうこっか)と呼ぶ。

公地公民制(こうちこうみんせい)

全ての土地と人民は公、すなわち天皇に帰属するとした制度。


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