694年 持統天皇と藤原京遷都

    

持統天皇と藤原京遷都


壬申の乱で勝利した大海人皇子は、672年、飛鳥浄御原宮に遷都し、即位して天武天皇となったが、その後も、唐にならった本格的都城構築を目指し、683年頃から新たな候補地を探し始める。そして候補にあがったのが、飛鳥京の西北部、大和三山に囲まれた現在の奈良県橿原市付近だった。

ところが686年、天武天皇が病死してしまう。このため、その後の3年間天武天皇の皇后が称制、その後に即位し持統天皇となった。持統天皇は、天武天皇の政策を継承すべく、飛鳥浄御原令の施行や、庚寅年籍の作成などに着手する。また、条坊制を採用し、これをもって694年、藤原京へ遷都。中央政権国家作りを本格化させていくことになった。

人名用語解説


称制(しょうせい)

称制とは、君主が死亡した後、皇太子や皇后などが、即位せずに政務を執行することをいう。

持統天皇(じとうてんのう)

持統天皇(645年-703年)は、日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝として知られている。天武天皇の皇后であり、天武天皇の死後3年間の称制の後に即位している。また、天武天皇の政策を引き継ぎ、飛鳥浄御原令の制定と藤原京の造営を進めた。

飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)

飛鳥浄御原令とは、天武天皇が編集を命じ、698年に持統天皇によって施行された令であり体系的な法典である。令22巻。

庚寅年籍(こういんねんじゃく)

690年に作成された戸籍のこと。

条坊制(じょうぼうせい)

古代における中国や朝鮮半島の王城都市に見られる都市プラン。南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路である坊と東西の大路の条を碁盤の目状に組み合わせた、左右対称で方形の王城である。持統天皇はこれを採用し、藤原京を作った。また、その後の平城京、長岡京、平安京などにおいても採用されている。

藤原京(ふじわらきょう)

藤原京とは、日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城であり、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する。また、藤原京は日本史上最大の都城でもある。


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